アウグスティヌス

アウグスティヌスの生涯で注目すべき点は、18歳のときマニ教に入信したことです。マニ教は世界を光と闇などに分ける善悪二元論的な教義をもち、基本的にキリスト教とは相容れない存在なのです。アウグスティヌスはその頃、キケロの書物を読み、知恵への愛に目覚めますが、彼の哲学の方向性を決定的なものとしたのは、新プラトン主義との出会いです。『告白』に描かれるように、その後劇的な回心を経て、アウグスティヌスはキリスト教徒になります。彼の哲学はこの回心に秘められていると言ってよいでしょう。

 

回心

アウグスティヌスに直接的に影響を与えたのは、パウロの『ロマ書』であると言われています。そこには、「宴楽と泥酔、好色と淫乱、争いと嫉みを捨てて、主イエス・キリストを着よ。肉の欲をみたすことに心を向けるな」とあります。ここにおいて、マニ教の霊肉二元論は否定されます。マニ教によると、肉体は悪であり、精神は善、さらには神でもあります。そうであるとするならば、人が罪を犯すということは、神が肉体、つまりは悪に従うことになります。しかし、新プラトン主義によれば、世界は神から出たものであり、物質も肉体も善です。したがってこの世の悪は自己の外にあるのではなく、自己の内において生じるものなのです。そこで彼の視線は、物体そのものからその根源である神へとシフトすることになるのです。

 

魂を通って神へ

ここで人は感覚によらず、自己の内部を探りゆくことによって、神へと向かいます。アウグスティヌスの言う「魂を通って神へ」ということばの真意はこういうことなのです。彼は「私の知りたいのは神と魂のみ」とも述べています。ここに新プラトン主義を垣間見ることができるのですが、プロティノスのような魂と神との連続性はここには見られません。そこにはひとつの断絶があり、プロティノスのいうところの一者との合一によって、アウグスティヌスは魂と神との相違を認識するわけです。こうしてアウグスティヌスは、「われわれの心は汝(神)のうちに憩うまでは安んじない」との結論を得るわけです。

 

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