フッサール

フッサールはオーストリアのユダヤ系の旧家に生まれました。彼は最初、数学上の論文で博士号を取得しましたが、ブレンダーノの講義を聴き、専攻を哲学へと変えました。その後ハレ大学の私講師になったフッサールは、『論理学研究』を公刊します。その第二巻において、今日の意味での「現象学」が登場するわけですが、この論文が認められてフッサールはゲッティンゲン大学に助教授として赴き、さらにその後はフライブルク大学教授を勤めました。退官後も彼はフライブルクに留まり、ナチス統治下での不遇といった問題を抱えてはいたものの、極めて静かな学究としての生涯を送りました。しかしその思索の反響は極めて大きく、ゲッティンゲンおよびミュンヘンにおける現象学派、シェーラーの倫理学、ハイデガーの実存主義、サルトル、メルロ・ポンティらのフランス哲学など、その影響力は測り知れません。これは哲学のみならず、社会学や精神医学などにも及んだと言われています。

 

現象学の成立

論理学研究』にみられるフッサールの前期の現象学は、「記述的心理学」とも呼ばれました。この第一巻において彼は、イデア的客観性を認める立場から「純粋論理学」を構想しましたが、第二巻では記述的心理学によってこの論理学を基礎づけようと試みたわけです。これは意識の働きを、あくまで直観によって純粋記述してゆこうとするもので、諸事象の発生と消滅を経験的に理論化してゆく「発生的心理学」とは区別されます。イデア的本質は直観に「起源」をもつとフッサールは考え、意識作用の探究の必要性を説いたのです。

こうした発想は、フッサールがブレンダーノから受け継いだものであったと言えます。ブレンダーノは記述的心理学から、「志向性」こそが心理学的現象を特徴づけることを発見しました。これを元にフッサールは自らの現象学を展開してゆくことになるのです。『論理学研究』第二巻においてフッサールは六篇の個別研究を行っていますが、特に志向性については第五、第六研究で言及しています。第五研究では「対象への自我の思考的関係」が述べられており、その本質的構造が明らかにされています。

 

超越論的現象学

フッサールは1913年、『イデーン―純粋現象学と現象学的哲学のための諸構想』第一巻(通称『イデーンⅠ』)を掲載し、そこで現象学を形作るふたつの方法を導き出しました。「形式的還元」と「現象学的還元」です。

形相的還元における「形相」とは、感性的に直観される個々の「事実」なのではなく、普遍的「本質」です。物体を物体たらしめるような本質は、経験的な直観によっては捉えることはできませんが、しかし非感性的な「本質直観」によって把握しうるとフッサールは考えました。現象学を可能とするためには、本質直観という方法によって、志向的体験の本質構造を明らかにしなければならないのです。

そしてもうひとつの方法は現象学的還元です。フッサールは人間の日常生活の在り方を「自然的態度」と名づけ、世界の存在は自明であるとする態度を「自然的態度の一般定立」と規定しました。しかし現象学は、この状態を「現象学的判断中止(エポケー)」によって遮断し、世界を「括弧入れ」することで純粋意識への還元を試みるのです。こうして生み出された純粋意識は、志向的体験として、意識の作用(ノエシス)とその対象(ノエマ)によって捉えられます。主観性が世界を志向的に「構成する」ことから、これは「超越論的現象学」と呼ばれるようになりました。

 

生世界

世界は志向性によって成り立つわけですが、そうした作用によってその都度初めて構成されるのではありません。それに先立つ「地平」としての世界が意識されているのです。とするならば、志向性の分析だけでは世界の現象を語るには不十分であると言えます。フッサールは彼の最後の著作『ヨーロッパ諸学の危機と超越的現象学』において、志向性によって直観的に経験される「生世界」に立ち戻るべきであると述べています。ガリレイ以来の近代科学による自然の理念化・客観化が、それ以前に与えられていたはずの生世界を隠蔽してしまったのであり、本来の生世界を構成する超越論的主観性への回帰が求められるのです。

 

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