キルケゴール

キルケゴールは1813年、コペンハーゲンに生まれ、コペンハーゲン大学で神学と哲学を学びました。彼は父親が幼いころ貧困から神を呪っていたこと、結婚前に妻を妊娠させたこと、という神に対する罪を背負っていた事実を知り、精神上の「大地震」を経験します。またその後には、レギーネ・オルセンとの婚約を破棄するという事件を起こしました。彼の作品はこれらの体験が大きく関わっていると言えます。事件直後ベルリンへと赴いて後期シェリングの講義を聴き、帰国後は仮名の著作を次々と発表しました。キルケゴールは『死に至る病』を書き上げたのち、デンマーク国教会への批判を展開する中、42歳でその生涯を閉じました。

 

実存

「実存」という言葉はラテン語のexistentiaに由来します。事物の「本質」、「である」といった意味のessentiaに対して、事物の「存在」そのもの、「がある」を表す語として、中世末期以降使用されてきました。後期シェリングは事物の本質に対して「現実存在」の重要性を主張しましたが、キルケゴールはこれに「主体的で具体的な人間存在」という実存主義固有の意味を与えました。彼は「重要なのは私にとって真理であるような真理を見出すこと、私がそのために生き、かつ死ぬことを願うような理念を見出すことである」と述べ、「主体性が真理である」という思想を追究しました。

 

実存の三段階

前期キルケゴールは「実存の三段階」を主張しました。実存は「美的実存」、「倫理的実存」、そして「宗教的実存」と弁証法的に発展してゆくのです。美的実存は、人生を享楽しようという直接性の段階です。そうした人々は、健康、富、名誉といったものを求め、才能を発展させ、己の欲望を最大限に開放することに執着します。しかしその行き着く先は絶望でしかありません。このように自己中心的で刹那的な美的実存は、己の直接性に閉じこもることで倦怠、不安に直面することとなります。こうして、人は自己の個別性を突破し、普遍的な倫理的目標を掲げる倫理的実存の段階へと至るのです。人は「よき父」「よき夫」となるべく努力します。しかし己の有限性ゆえに絶対的な倫理的要請の前に挫折をせざるを得なくなり、罪ある存在として宗教的実存へと向かってゆき、徹底した内面化によって主体的に神に関わります。そしてキルケゴールはこの段階をさらにふたつの領域に分けました。まず、内面的宗教的実存としての「宗教性A」です。これはあらゆる宗教に共通な要素ですが、しかし「絶対的逆説」としての「宗教性B」というものも存在します。宗教性Bにおいて実存は、永遠で絶対的な超越者である神が、僕の姿をまとった人間イエス・キリストとしてこの世に現れたという、歴史的「逆説」への信仰をもつのです。

 

死に至る病

キルケゴールは後期に『死に至る病』を発表しました。そこで彼はは自己を「関係自身に関係する一つの関係」と規定します。つまり、人間は無限性・有限性、永遠、必然性のような「綜合」というひとつの「関係」ですが、この関係自体に意識的に関係するという点で、関係自身に関係すると言えます。さらにこのような存在は、神に関係する関係でもあるのです。そしてこうした関係の「不均衝」は「絶望」を生みます。これをキルケゴールは「死に至る病」と名付けました。自己とは神とのかかわりに基づいてあるのだから、ひとは信仰を通じてこそ、「神の前に立つ実存」となりうるのです。

 

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