May 05, 2019
ハイデガーは1889年、ドイツのメスケルヒに生まれます。ブレンダーノの『アリストテレスによる存在者の多様な意義について』という博士論文を読んで「存在への問い」に目覚めたとされています。1915年からフライブルク大学で私講師を始めた彼は、その頃フッサールと交わり、現象学の手法を学びました。そして10年余りの沈黙ののち、ハイデガーは『存在と時間』を発表します。そのすぐ後にフッサールの退官を受けて大学教授に就任し、終生この地に留まることになります。「現存在の現象学」として展開された『存在と時間』は、サルトルやメルロ・ポンティなどにも多大な影響を与えました。
アリストテレス以来、「ある」ということへの厳密な議論を展開した人物はいませんでした。ハイデガーは存在一般の意味を『存在と時間』のなかで明らかにしようと考えます。彼は人間や家などの「存在者」を存在せしめる根拠を「存在」と呼びますが、それを了解しているの唯一の存在者は人間に他なりません。人間は漠然とではあれ、現に存在が開示されているような存在者であり、それは「現存在」と言われます。ハイデガーにとって、「存在者の存在」という現象をを追究してゆくことが、現象学なのであり、したがって存在一般の意味を問うという作業は「現存在の現象学」によってなされるのです。『存在と時間』はこれを解釈学的現象学として展開してゆきますが、しかしこれは未完に終わっており、その究極的な課題はついに明らかにされることはありませんでした。
現存在たる人間は、自らを了解しつつ存在し、この存在そのものに関わりゆくような存在者です。ハイデガーはこのように現存在によって本質的に規定される存在を「実存」と呼び、またそのような存在構造を「世界内存在」と名づけます。人間はあくまでも世界の中にあるのであって、存在をその本質と実存とに分離して議論するような近世の体系は意味をなしません。われわれは、世界のうちに投げ出された可能性であり、それを「了解」することが実存の根拠となるのです。
そして世界内存在として、人間は他者との関係をもつことになります。ハイデガーは、この他者への配慮が、現存在を現存在たらしめる、いわば現存在の存在であるとします。つまり、他者とは自己存在と別個のものではなく、むしろ現存在自体の構造としてあると言えるのです。さらに現存在の「本来性」は、特に「不安」のうちにあるとされます。われわれは死への可能性を「先駆」することで「良心」を呼び起こし、このような「先駆的決意性」において、現存在は「本来的実存」に目覚めるのです。ハイデガーは「死が現存在のもっとも固有な可能性である」という命題を掲げていて、そこから生まれる「時間性」こそが、先駆的決意性を可能とすると考えたのです。
さて、人間は世界内存在であることそれ自体に対して不安を覚えます。ここに「ない」や否定よりも根源的であると思われる「無」の思索が生まれるのです。「無とは、存在者そのものが人間の現存在にとって明らかであることを可能にするもの」であり、不安が無をあらわにすることで、「それが存在者であって、無ではないところの存在者の根源的な開けが生起する」のです。『存在と時間』では、実存は現存在の本質であるとされましたが、後期ハイデガーにおいてはこれが、存在の開けと対峙している存在者の存在であるという意味に拡張されたのです。
『存在と時間』『形而上学とは何か』『ニーチェ』など