May 05, 2019
ニーチェはショーペンハウアーの意志哲学の影響を多大に受け、またワーグナーの芸術にも傾倒しました。その思想はおよそ三期に分けられ、第一期はショーペンハウアー的・ワーグナー的時期です。『悲劇の誕生』、『反時代的考察』がそれにあたります。そして過渡期にあたる第二期においては、『人間的な、あまりに人間的な』や『曙光』などの作品を残しました。その円熟期は第三期であり、ツァラトゥストラ期と呼ばれます。『ツァラトゥストラ』、『善悪の彼岸』などがこのころの著作です。ニーチェは1889年にトリノで倒れ発狂したのち、その11年後に亡くなりますが、彼の遺稿を集めて死後に出版された『力への意志』も、彼の哲学を知る上で重要な位置を占めています。
ニーチェはその処女作『悲劇の誕生』において、芸術を「アポロン的なもの」と「ディオニュソス的なもの」というふたつの衝動によって規定しました。アポロン的なものが甘美な夢の仮象を造形化したものであるのに対して、ディオニュソス的なものは陶酔を原理とした、野性的な衝動をもっています。前者の個体化の原理に反して、後者は共同性の原理に従います。特にアイキュロスに代表されるギリシア神話は、観賞をつかさどる造形化の原理をもったアポロン的なものに媒介されながらも、その根源は共感と連帯をもたらす共同性の原理、すなわちディオニュソス的なものとして、両者を統一しています。
ニーチェはショーペンハウアーの意志哲学に共感し、またワーグナーにディオニュソス的な力の再生を期待していました。しかし両者の生否定的なペシミズムに強くは反発した彼は、やがて生肯定的な「力への意志」を原理とする主体性の哲学を唱えるに至ります。とはいえ、芸術こそ「生の本来的に形而上学的な活動」としたニーチェの思想は、その後も一貫しています。
ギリシア哲学やキリスト教道徳の思想は、世界と彼岸とを切り離すことで成り立ってきました。無意味で偽りに満ちたこの世界は、究極の目的、真理をもつ彼岸がこれを照らし出すことによって、初めて意味をもつのだと考えられていたのです。このような世界観は生を無意味なものとして否定します。ヨーロッパの形而上学の歴史は、生の誹謗と感性の抑圧の歴史に他ならないのです。しかしこれは現代において崩壊します。「神は死んだ」のです。
こうして生まれるのがニヒリズムです。ニーチェはこれを「至高の諸価値がその価値を剥奪されること」と規定します。神が死んだことによって、人々は己の生を意味づけることができなくなってしまうのです。こうしてヨーロッパはデカダンスへと落ち込んでゆきます。これは「精神の力の下落と後退としての受動的ニヒリズム」、すなわち「弱さのニヒリズム」なのです。ニーチェはこうした態度に警鐘を鳴らします。それをのり越え、新たなる価値の創造へと向かってゆく、「強さのニヒリズム」へと革新してゆく必要があるのです。強さのニヒリズムとは「精神の高揚せられた力の徴候としての能動的ニヒリズム」であり、こうした積極性の中にこそ生肯定的な思想が生まれてきます。
ニーチェは従来のキリスト教道徳やプラトン以来の哲学を徹底的に批判し、「善悪の彼岸」に立った価値判断の転換を試みます。そして彼は生の本質を生の維持、そして高揚を求める「力への意志」とします。こうした面では、ニーチェはショーペンハウアーの「生への意志」にみられる意志哲学を継いでいると言えます。しかし彼は、「生はたんに力への意志の一つの特殊の場合にすぎない」として、ショーペンハウアーの考えを退けます。世界の存在様式である不断の「生成」を、人間は同一性をもった「存在」として解釈しますが、これはわれわれの生存を維持し、己の新たなる形態を生みだしてゆく力への意志の原理に他ならないのです。
ニーチェによれば、主観や客観、理性といった問題は力への意志によって作られたカテゴリーであり、仮象に他ならないとします。こうして従来の形而上学、意識哲学、さらにはニヒリズムやデカダンスもすべては仮像へと還元されます。しかしその仮象の中であっても、ここから生の肯定を導き出すことに意味があるのです。それこそが創造であり、高揚であり、そしてディオニュソス的陶酔であるわけです。
ニーチェは「すべてのものは生成し永遠に回帰する―このことからのがれ出ることは不可能である」として、「永遠回帰」の思想を掲げます。つまり、世界は永遠に創造と破壊とを繰り返す「ディオニュソス的な世界」に他ならないのです。その原理は力への意志です。神が死んだいま、われわれがたどり着くような彼岸はもはや存在しないのだから、人間はニヒリズムを通じて、この運命を受け入れなければなりません。これは「運命愛」と呼ばれます。そしてニーチェは人間を「超克されるべきあるもの」とし、また自己克己を果たしたした最高の力への意志の体現者を「超人」と呼びます。超人は永遠回帰を完全に受け入れて生を肯定する、そのような存在の象徴なのです。
『悲劇の誕生』『ツァラトゥストラ』『力への意志』など