May 05, 2019
ロックは自然科学に興味をもち、大学では医学を勉強しました。そのため、物理学者のニュートンやボイルなどとも親交がありました。シャフツベリ伯の侍医となりますが、伯の失脚と同時にオランダへと亡命。名誉革命後に帰国し、ロンドン郊外で老後の生活を送りました。彼は一生涯独身でした。ロックは哲学のみならず、政治、宗教、医学などの分野でも活躍し、のちのフランス革命やアメリカ独立に大きな影響を与えたことは言うまでもありません。
ロックは『人間知性論』において、「人間の知の起源と絶対的確実性と範囲とを探究し、あわせて信念、臆見、同意の根拠と程度を探究する」と述べています。彼は人間の知識の限界を見極めようとし、「事象記述の平明な方法(historical plain method)」によってそれを可能なものとします。すべての認識は経験を介して行われ、それを記述することで成立するという、経験論の立場をとるのです。そして、「何であれ、人間が思考するとき、知性の対象となるもの」をロックは「観念(idea)」と呼びます。
さて、経験論を主張するにあたってロックはまず、デカルトのいう「生得観念(本有観念)」の存在を否定します。人間はもともと「タブラ・ラサ(白紙)」の状態であり、観念は経験によって記述されるのです。その際、ロックは経験を二つの形式に分けます。ひとつは「感覚」であり、そしてもうひとつは「内省」です。感覚によって外面的な世界の観念を得て、それに基づく内省によって内面的な作用を認識するのです。
ロックは観念を二つのタイプに区別します。「単純観念」と「複合観念」です。単純観念は、感覚と内省、あるいはその複合によって与えられる、知識の最小単位です。単純観念は物体にかかわる感覚として、さらに「第一性質」と「第二性質」とに分かれます。第一性質は、固体性、形状、運動などの物体そのものの性質をさします。第二性質は色、音、味などの性質で、第一性質に基づいて生ずる物の力能です。前者は感覚に対しても絶対的なものですが、後者は相対的な働きをします。
複合観念はそのような単純観念が結合したものです。そこには時間、空間、数といった「様態」、物体、精神、神などの「実体」、同一、差異のような「関係」の観念があります。特にロックは実体を否定します。われわれは単純観念から得られる事物を、基体としての実体という形で捉えますが、そこに明晰判明な観念はありません。われわれが実体だと考えているものはあくまで想定なのであり、実体そのものは不可知であるとします。
ロックは知識を「われわれの観念のあるものの一致・不一致の知覚」と定義します。その一致・不一致には、「同一性あるいは差異性」、「関係」、「共存あるいは必然的結合」、「実在との合致」の四つがあります。さらにその明晰さという点において、三つの段階を主張します。ひとつ目は「直観的知識」です。これは観念の一致・不一致が直接知覚される場合で、絶対的確実性をもちます。そしてふたつ目は「論証的知識」で、観念の間に他の観念が介在しているときがこれにあたります。各々の観念が直接的な明示性をもつ限り、これもまた確実性をもちます。最後に「感覚的知識」が挙げられます。外的な事物が感覚によって認識される場合を指し、絶対的な確実性はありません。ロックは「われわれの能力は物体の内的仕組みや実在的本質を洞察するのには適さない」と述べており、感覚的知識に頼るしかない自然科学については、蓋然的なものであるとします。
『人間知性論』『統治二論』『教育論』など